2016/05/20

花、花、花。

最初の花はだいぶ前になりますが、木蓮科の『タムシバ』です。辛夷に似ていますが、咲く時に一枚の緑の葉を付けないので、辛夷と違うことがものの本に書かれています。匂いコブシとも言うほど、鼻を近づけると良い香がします。 うちの『芝桜』です。今年は花の時期の良く雨が降ったので、あまりきれいではなかったようです。 道端の『カキドオシ』です。垣根を越えても這っていくそうです。 ウワミズサクラは筒ッポの様な花房で、よく見ると小さい桜の花が集まっています。咲いていない時はどれがこの木だか全然分かりません。 『イカリソウ』のちょっとした群生を新たに見付けました。秘密にしてあります。クルマでゆっくり走れば、見付けられるかもしれませんが、普通のスピードで走ったら、そう簡単には見付けられそうにありません。だから私だけの秘密! これも道端の『キジムシロ』です。 『チゴユリ』がうちの庭にひっそりと咲き始めました。
『日本古来の桜草』、ミントとスギナがはびこって、苦しそうにしていたので、救出しました。咲き始めより色が濃くなってきました。 思い出のある栃木県の人からいただいたので、大事にしています。 『ストレプトカーパス』が4色咲きそろいました。お米のとぎ汁をあげていますが、効き目があるようです。窓辺からストーブの上に移動させました。 外ではワラビが穫れ始めるとこの『タニウツギ』が開いてきます。きれいなのですが、怖ろしいほどの繁殖力なので、油断してはびこらせてはいけません。一年置きぐらいに切り捨てます。
端午の節句によく作る『笹巻き』を作ってみました。熊笹の葉は去年採って冷凍しておいたので、熱湯で茹でるときれいな緑色になります。今回は初めて庄内地方の鶴岡の伝統食の笹巻きにしてみたので、餅米は灰汁(あく)に漬けてひと晩おいて、笹の葉に包んで茹でるときも灰汁と笹の茹で汁を使いました。できあがりのお餅の色がベッコウ色になって、味も何となく風雅な趣がありました。スゲで結ぶのに苦労して、小さめの平べったい三角形になってしまいました。 太い蕗で蕗の砂糖菓子を数年ぶりに作りました。残念なことにきれいな草色に仕上がりませんでした。茹で方かアク抜きの失敗に依るようです。まあ仕方がない! 山菜採りの名人の大工のTさんから、太いウルイをいただきました。ウルイという山菜は園芸種ではギボウシで、薄紫の花が咲きます。少し苦みがあって、茹でて酢味噌を付けて食べると、これが特に新鮮で美味しかった。良くこんな太いのを見付けてきたと感心します。

2016/05/08

春の行事・目白押し

4月10日は吉里吉里忌・2016でした。つまり作家故井上ひさしさんのご命日に当たるので、川西町では全国から沢山の人が集まって、記念の講演会や、パネルディスカッションなどが行われたのです。 今年のパネルディスカッションは、『観る、演る、論ず--井上芝居の魅力』と題して、女優の渡辺美佐子さん、演劇評論家の大笹𠮷雄さん、朝日新聞論説委員の山口宏子さんでした。渡辺美佐子さんは井上芝居の『化粧』で、一人芝居を長年演じてきた女優さんで、延べ600回を超える公演をこなしてきた方です。難しい役をどのようにして苦労を重ねて演じ続けたのか、楽しいなんてものじゃなく、無我夢中で、脇目もふらず、どさ回りの座帳の役を通して、人間とは何か、母とは何か、親子とは、、と演じてこられた苦労などをおもしろ可笑しく、懐かしんで、熱く熱く語られました。 今年の講演会は、作家の出久根達郎さんでした。演題は『井上ひさしと本』というもので、予想に反して最初のひと言から面白くて可笑しくて、笑いが聴衆の間を渦巻き、だんだんと醒めていき、進んでいきました。井上ひさしさんがとても気を遣われる方だったこともおっしゃっていて、さもありなんと思いました。古書店主の出久根さんですから、古書店の貴重なお話を聴かせていただきました。また美智子皇后の秘話などもこっそりと教えてくださいました。写真を撮るのは禁止と言われていて、夫が隣でそっとデジカメで撮った遠い遠い写真です。このように毎年吉里吉里忌ではめったにお目にかかれない方のお話が聴けるので、とても楽しみです。最後は夫人の百合さんがご挨拶なさって、「井上が亡くなって6年が過ぎ、この5年間に日本ではいろいろのことがありましたが、もし井上が生きていたらどんなふうに嘆いたり、悲しんだりしたことかと、、、それが聞けなかったのが残念です』というようなことをおっしゃいました。3.11、原発事故、憲法9条の問題など、みな井上ひさしさんが前から特別に心配していたことが起こっているのですから。本当に早く亡くなりすぎた感があります。総合司会が元NHKアナウンサーの古屋和雄さんだったので、終了後、私は勇気を出して立ち入り禁止の楽屋に入り込み、古屋さんに『あのう、私、数年前に古屋さんが有江活子さんとラジオ謎かけ問答の司会をやってらした時に何度も投稿して採用されたベニーととこです。』と自己紹介すると、思い出して下さり、「あれ楽しかったですよねえ、笑い転げた思い出ありますよ』なんておっしゃって、いやあ、良かった!古屋さんとお話しできて、、、その日の私の一大収穫だったのでした。
4月19日には福島県立美術館に『フェルメールとレンブラント・17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち』展を観に行きました。朝10時に出発して福島市までは1時間と20分ぐらいで着きます。フェルメールとレンブラントの絵はそれぞれ1点ずつですが、それでも福島県まで来ることはめったにないので、大勢の人が詰めかけていて、駐車場に入るのに、すこし時間がかかりました。やはり中は広々としていて、大都会の美術館とは違い、楽に観ることができました。フェルメールやレンブラントの時代の画家たちは、板に油絵で、細かい景色や肖像画や出来事を描いていたのです。フェルメールの絵は『水差しを持つ女』で、ブルーのスカートの色がきれいだった。レンブラントの絵は『ベローナ』で、両方ともニューヨークのメトロポリタン美術館から貸し出されているのです。「ヴァージナルを弾く女性」は箱形の楽器を弾く女性の絵で、チェンバロの原型のような物でしょうか。これはオランダのロッテルダム美術館からの物です。ベローナは女性にもかかわらず甲冑を着ている姿ですごい細工が描かれていました。私は古い時代の絵を観るとどうしても描かれている人物の着ている衣装や、部屋の床や家具などに目が行きます。長いヴォリュームのあるスカートや袖の膨らんだ美しいブラウスなどの服は絹で織られていたのだろうか?また冬は毛皮のベスト、織物のストール、なども男女とも着ていたようです。白と黒の大理石の市松模様の床の絵が数点在った。きれいだが寒かっただろうなあ。 帰りに、飯坂温泉の旧堀切邸を見物しました。江戸時代に若狭の国から移住した梅山太郎左右衛門が開墾し、掘りを切ったことから名を堀切と替え、後に内務大臣や東京市長、イタリア大使などを生んだ旧家の屋敷が残っていて、興味深い物でした。
話は前後しますが、3月の末に『玉庭の雛巡り』がありました。前から観たかった玉庭の横山さんの家のお雛様を観に行きました。何種類かの段飾りのお雛様や相良人形などもあり、また茶の間ではいろいろなお茶請けがお膳の上一杯に並べられていて、どれも美味しく手間がかかっているものでした。
山では一番にブナの樹が芽吹き始め、そのあとは春がゆっくりですが、新緑の森へと変化していきます。
4月の末に薪屋さんが薪をトラックに満載してやってきました。この後もう一回運んで、うちの前は薪の山が出来ました。夫はこれから忙しくなります。今年は薪割り機のすぐそばの同じ平面に置いて貰ったので、去年より楽になります。太すぎる丸太も少なくて、ほっとしました。
連休が終わりに近づいた5月4日、雛巡りのときに知り合った小国町のFさんとYさんから連絡をいただいていた『小国熊祭り』に行ってきました。熊肉が放射能検査を通過して、数年ぶりに『熊汁』が提供されるのです。小国町の小玉川地区はそれはそれは山奥に位置し、国民宿舎・梅花皮(かいらぎ)荘があるので、そこの隣の広場で行われるのです。熊肉を食べたことのない私たちは、興味津々で、朝7時半にもう出発していたほどの張り切り様です。道が一本しかないので、渋滞が予想され、早く来るようにとFさんから言われていたのですが、半信半疑でした。ところが帰る時に、駐車場に入れなかった車が、その一本道に何キロにも並んで路上駐車していたのを見て、納得しました。熊汁は臭みがなく柔らかくて、どちらかというと牛肉に近い味でとても美味しかったので、びっくりしました。他に入っていたものは大根と葱だけでした。今年マタギが狩った熊肉なので、とても貴重な物です。 熊祭りはマタギの里として数百年受け継がれてきた熊狩りを、神さまと熊に感謝して厳かに行われる大切な行事なのです。数人のマタギが熊役の黒いぬいぐるみを着た熊君を追い詰めていく熊狩りのさまを実演してくれました。例年なら残雪の上を黒い熊が歩くのがはっきり見られるのですが、今年は残雪はほんの少しで、遠くから見るのも大変でした。この頃までには降っていた雨が止み、お日さまが顔を出すと飯豊山が素晴らしい山容を見せてくれました。残雪の映える神々しいような飯豊山はいつ見ても心が洗われる思いがします。