2016/01/25

福田進一先生の還暦記念コンサート

1月23日に東京渋谷区富ヶ谷の白寿ホールで、我らが愛する福田進一先生の生誕60周年記念のコンサートがありました。昨年秋にチケットを申し込んでおきました。わずか2週間で完売となったそうです。福田さんのコンサートはいつでもどこでも大人気です。白寿ホールは300席なので、ギターには最適なホールです。先生の奥さまは、庄内町ご出身のグラフィックデザイナーの上野華恵さんなので、2005年の第1回庄内国際ギターフェスティバルの時からの私たち夫婦の知り合いで、良いお友達です。センスが良くて、聡明で、明るい方です。
実は23日の朝から我が家を出発するのは不安でした。この辺の雪はいつどかっと大雪になるか知れないので、電車が停まってしまったら行けなくなります。前日のうちに米沢市内のホテルに泊まって、朝できるだけ早い時間に新幹線に乗ることにしていました。ところが、18年間使った全自動洗濯機が5日前に突然壊れるというハプニングがあり、新しい洗濯機が22日の昼過ぎに配達されて、それを設置してからの出発になりましたが、お天気も良く、予定どおりに家を夕方までに出ることができました。 せっかく上京するのだから、他にも用事を済ませた方がよいので、夫は学生時代の先輩のKさんとのお昼の会食を計画し、私も何十年ぶりの懐かしの高校時代の後輩とのご対面とランチをご一緒する予定でしたが、こちらは彼女のご都合が悪く次の機会を待つことになりました。 23日の朝は冷え込んだものの、雪が積もっていなかったので、朝7時38分米沢発のつばさ号に首尾良く乗れました。冬のこんな早い時間に新幹線に乗れるのは奇跡みたいなものです。福島、大宮、東京しか停まらないこのつばさ号、東京駅には9時半過ぎに着きました。
東京駅から徒歩で10分ほどの三菱1号館美術館の『プラド美術館展』を観ることができました。田舎に住んでいるとこういう世界有数の美術品の展示を観られるのは希有なことです。古くて狭い建物の部屋をぐるぐる歩き、小さい絵が多いので、しかと観るのは大変でした。スペイン王室の財産であるこれらの絵画は、オランダやイタリア、フランスなどから前世紀と今世紀になって購入したり、19世紀ぐらいに税金の代わりに物納されたり、画家の遺族から遺贈されたりした絵画のコレクションで、エル・グレコ、フランシスコ・デ・ゴヤ、ディエゴ・ベラスケス、グイド・レーニその他の作で、主に宗教画と風景画、静物画で成り立っていました。おまけに館内は、寒めに調整されているはずの暖房がコート片手の私には効きすぎと感じられ、最初にコートを預けるべきだったと思うも後の祭り。
夫と別れて私は富ヶ谷の白寿ホールの近所にある天然酵母・国産小麦のパン屋さんの「ルヴァン」へ向かいました。併設されているカフェ『ルシェル』に入り、美味しいパンとスープとサラダの軽い昼食をいただきました。ここは数年前に次男Tの嫁のKさんが、『張り子とマトリョーシカの展示会』をやらせてもらったところなので、スタッフにお礼を言い、美味しいパンを食べたかったのです。ルヴァンの皆さん張り子展をよく憶えていて下さり、棚には『ロバ君』、壁には『パンの守護神のサントノレ』の張り子が飾られていました。幸せな張り子たち!残念ながらカメラを持っていなかったので写真は無しです。
 ゆっくり休んでから白寿ホールへ向かいました。夫もやってきて、いよいよエレベーターで7階のホールへ。華恵さんのありがたいご配慮で、指定席は何と福田先生のお母様のお隣という素晴らしい席でした。ホールに入ったらもう写真撮影は禁じられているのですが、私たちが席に着こうとしているのを台湾のギタリストで福田先生の大ファンの葉登民さんがこっそりお撮りになった写真がFACEBOOKに載ったのを、夫が見付けて取り込んだのが次の写真です。まったく偶然とはこういうことかと不思議に思います。嬉しいことが重なり、「あー、無理して来て良かった」と、しみじみ思いました。
この日の演奏はバッハのリュート組曲ばかり4曲と、北爪道夫さんの作曲なさった長崎キリシタンの『オラショー』、『椿姫の主題による幻想曲』の新発見楽譜の世界初演ものと、アンコールにやはりバッハのソナタ1番からフーガを、3本のギターを曲に合わせてお換えになっての演奏でした。その演奏はもううっとりするほど素晴らしく、六十歳になられてますます円熟味が加わり、芸術そのものでした。夢見心地でお聴きしました。お隣でお母様も1曲終わるごとに感嘆のため息のようなものをつかれるのでした。そうして私と顔を見合わせて、『よくもまあ! あんなに指を動かし続けて、、、』なんておっしゃるのです。80歳を過ぎていらっしゃるのに、かくしゃくとして、たびたび大阪から出て来られるそのエネルギーはしっかり世界中で活躍される息子さんである進一先生に引き継がれているのだと思いました。お母様は普通の母親がドキドキしながら我が子の演奏を聴くというような雰囲気ではなく、堂々と構えて聴いていらっしゃるふうに見えました。
 終了後は大急ぎで東京駅へと向かいました。ホームには列車の到着する度にお掃除と点検をするスタッフが並んでいて、彼・彼女らのきびきびと仕事をする様子はいつ見てもすばらしいのひと言です。米沢駅から家までも雪の降らない幸運な夜でした。無事帰宅できて、素晴らしい一日をありがとう!

2016/01/20

鮭の飯寿司を作ってみました。

12月中旬に月に北海道の留萌郡小平町臼谷の佐藤漁業部から、北海道産タコ一匹の茹でたものと、鮭の飯寿司を取り寄せてみました。どちらも美味しく、鮭の飯寿司は自分で作らなくてはと思っていました。1月9日に、ご飯を炊いて冷ましてから麹を混ぜて、飯寿司の素を作り、勇んでとりかかりました。
仕込むための容器は樽などは無いので、どうしようかと考えていたら、夫が『寿司桶にしたらどう?』と言ったので、その線で行くと決めました。私の寿司桶は5合用なので、大きすぎず、小さすぎずちょうど良いのです。熊笹の葉は以前から大きそうなきれいなのを、そこら辺の道の脇で集めて、きれいに拭いて重ねて冷凍していたので、それを熱湯で戻したら、穫りたてのようにきれいな緑色になりました。寿司桶の底に1枚ずつ桶の板が見えないように放射状にずらして並べていきます。その上に麹入りご飯と人参と大根と生姜の千切りを混ぜた具の半分を敷き詰めて、米酢と柚子果汁をませたものを少しずつふりかけます。紅鮭の切り身を並べ、その上にまた残りの麹入りご飯を載せて、すき間がないように詰めたら、熊笹の葉の桶より出た分をご飯の上に被せ、葉が足りないときは上に新しく並べて敷き詰めます。その上にちょうど良い大きさのお皿を乗せて、重石用の石を2個置き、ビニールを被せて、そのうえに紙をかぶせて紐で縛って、寒いところに10日間おきます。 大寒の20日ができあがりの日です。行ってみると、少し寿司桶の下に水が沁みていましたが、被せたものを1枚ずつ葉がしていくと、、、、 自分で言うのも変ですが、見事!! なれ鮨と言うほど発酵し過ぎでなく、なんとなく新鮮な感じの飯寿司が出来上がっていました。留萌郡の小平町から取り寄せた『飯寿司』と同じような物が、自分でも作れた喜びは大きい! 来年からもきっと作ろう!

2016/01/06

甘酒作りとシュトレン作り

歳とともにスローになって来ました。1月6日にこの冬初めて甘酒を作ることを思いつきました。麹は2種類買ってありました。Y商店のと、S商店の物です。いつもS商店の麹を日本一の麹と思って買っていましたが、ちょっと浮気心が起こってY商店の麹を買ってみましたら、見かけからしても期待はずれでした。 並べてみたら、、、奥のがY商店の麹で、手前がS商店の麹です。奥のY商店の麹の色は真っ白でなく、オフホワイトに近く、米の粒が小さくてポロポロしています。 S商店の麹はほとんど真っ白に近く、白カビがほわほわしていて、米の粒は大きく、見るからに美味しそうです。右側がほぐす前、左側がほぐした後です。   どちらでも甘酒はできるので、混ぜることにしました。電気釜を利用して作るので、餅米3/4カップは良く洗って、ざるで水を切り、メニューをお粥にして水を指定どおりに入れて炊きます。炊きあがったら一旦消して、60度になるまで蓋を開けて冷まします。60度まで下がったら、保温スイッチを入れて(2段階あれば)低い方に合わせておき、ほぐした麹を入れてよく混ぜます。麹が多い方が断然美味しいので今回は5カップも使いました。蓋はせず、代わりに布巾を掛けます。時々しゃもじでよく混ぜます。1時間ぐらいすると麹が発酵してきて、色もだんだんベージュ色へと変化してきて、固かったお粥があら不思議、もう最初と全然違う状態になり、水っぽくだらっとしてきます。甘酒の臭いが漂ってきますが、もう後3時間ぐらいそのままにしておくとできあがりです。お砂糖を入れてないのに、麹の力で、まろやかな甘みが出てきます。この甘酒は濃いので、呑むときはお湯で半分に薄めて温かくして呑みます。生姜の絞ったものを入れても風味があって美味しいですね。
ドイツのクリスマスのお菓子『シュトレン』を、今ごろになって作りました。ケーキが溢れているときはもらっても感激が少ないかも知れないので、一月遅れで作る方がもらった人はうれしいだろうと思いました。 『ベックさんのドイツ菓子』という古い本を見て作りました。中に入れるドライフルーツはきれいに洗って乾煎りしたレーズンと少し色の淡いサルタナレーズン、自分で作ったオレンジピールと固くなった干し柿の刻んだものをもう1ヶ月以上前からラム酒に漬け込んでおきました。あと刻んだローストアーモンド、クルミのざく切り、香辛料としてシナモン、潰したカルダモンの実です。このレシピはドレスデンの方法なので、イーストを使って、2回も発酵させてはガス抜きをしますから時間がかかります。種を倍にしたので、捏ねるとき力が要って大変でしたが、朝のうちから始めて夕方になって何とか出来上がりました。意外と疲れなかったなんて思ったけど、翌日になったら、右の手首がずきずき痛みました。粉砂糖をたくさん振りかけるとシュトレンらしくなりました。まだ味見はできないので、心配です。
先日のザワークラウトのできあがりを見て下さい。ただのキャベツの漬け物ですが、ドイツやフランスでいただいたものをほぼ同じようにできました。ソーセージやベーコンと煮込んだり、玉ねぎと人参の千切りと混ぜてサラダにしたり、生のキャベツや玉ねぎ、ジャガイモと煮込んだりして美味しくいただいています。

2016/01/02

明けましておめでとうございます。

この冬は本当に良い天気が続きます。一月からはどうなるかまったく分かりませんが、エルニーニョ現象が続く限り、冬型気圧配置が長く続くということはあまりないかも知れません。 除雪機を使って、家の周りの大雪を飛ばすことはきっと少ないでしょう。 暮れに少し積もった雪が家の南の木の上にまるで白い猫が乗っかっているように見えました。
大きなキャベツをいただきました。米沢のお友達のお父さんが育てたのですが、今年は天気が良いので、キャベツが育ちすぎて、何と6キロもありました。ゴムべらの長さと較べると大きいということが分かります。4分の1に切るのも大変でした。芯がとても硬くて、包丁が入っていかなかったのです。半分だけ刻んでドイツ料理のザワークラウトを作ることにしました。重さの2%の塩を振って、しんなりさせてから瓶に詰めて、水が上がるのを待ち、そのあと発酵して酸っぱくなったら、冷たいところで熟成させるのです。昔フランスにいたときときどき買って、ソーセージと煮込んだり、スープにしたり、日本の白菜の漬け物と同じ味がするので、懐かしく思ったものです。またその前にドイツの友人オルセン家でこれを見付けたとき、さっぱりした味に魅せられて、掌に乗せてひたすらムシャムシャ食べ続けたことがありました。ザワークラウトはいま瓶の中で発酵中で写真がないので、また次の時にお見せします。
お正月のために作った料理です。お節料理というほどのこともない料理ですが、一度に沢山作っておけば、3が日の間は楽ができます。カボチャと小豆のいとこ煮です。自分の畑で穫れたかぼちゃですから、余計に嬉しくて、つい食べ過ぎます。
長ネギのサラダと、たたき牛蒡の胡麻醤油和えです。たたき牛蒡は父が大好きだった物です。
これは「暮しの手帖」に数年前に出ていたお正月料理の中から、「五目酢和え」という料理で、大根と人参のなますと白和えを混ぜたような料理です。白胡麻がたっぷり入っています。普通のなますも一緒に作りました。
もちろん黒豆の煮豆も、ゼンマイとこんにゃくと油揚げの炒め煮も作りました。31日から毎日2回食卓に上り、いささか飽きてきましたね。